大晦日の朝

冬休みに入り、自堕落な生活もそこそこ慣れてきたこの頃

この瞬間にしかできないことだと思うと、寝ている時間など

もったいなく感じ、2025年を終わるのを静かに感じていたいと思う俺です。


さて、すでに大晦日の2時過ぎの時間にて今この文を書いているのだけれど、

大晦日ってなんで晦(みそ)っていう漢字を使っているのかちょっと気になってきた。


どうでもいいのかもしれないが、何も知らない俺がこの漢字を見たときに思うのは

後悔の悔いるっていうの近い漢字だなって思う。

まあ、今年は後悔することも多かったと思うが、結果的に自分は生きているわけだしね。


何かしら後悔は忘れているのも含めると合計すれば莫大な数あると思う。

過去のある時点のことを今の考え方で省みる行為である以上、

必要悪なのかもしれない。


大晦日になり色々親戚がくると、お話が飛び交うのだが

そこでも後悔の話題は絶えないし、必ず俺に教訓としてこうすると良いと言われてしまう。

それがうざったらしいって言うわけではなく、経験しているから言えるんだと

説得力をもってそうなんだと納得する。


何を持って失敗と言うのか、何を持って成功と言うのか

人それぞれに一時的な答えが存在するのかもしれない。


俺は分岐点に立っている

人の話を踏まえて、最善手を打ちまくるというのもおそらくできないだろうと思う。

あくまで自分で経験したわけではなく、そういった知識みたいなものだから。


理論に沿った人生などないと思う。


現実もほどほどに理想もほどほどに生きていければいいと思えた。

来年のいつかは想像を超える日が待っているのだろうか?

以上!

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